2014年度鑑賞作品
RUSH/ラッシュ
 
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お前がいたから、強くなれた。
永遠に語り継がれる感動の実話。

「コクーン」「バックドラフト」「アポロ13」などのヒットにより一流監督となり、2001年「ビューティフル・マインド」でアカデミー賞監督賞を受賞、そして、「ダ・ヴィンチ・コード 」や「天使と悪魔 」でお馴染みのロン・ハワード監督が、F1史上最も衝撃的でドラマティックな1976年を舞台に、ジェームズ・ハントとニキ・ラウダのバトルの実話を映画化した「RUSH(ラッシュ)」が公開された。

RUSH(ラッシュ)

1970年代のF1黄金期、1976年はモータースポーツファンには忘れられない年である。総合ポイントでそれまで首位だった前年覇者のニキ・ラウダが再起不能とまで言われたニュルブルクリンクでの大クラッシュで全身に火傷を負う重傷からわずか6週間で奇跡的に復活、その後、ライバルであるジェームズ・ハントとのワールドチャンピオンの座を競う熾烈なバトルが最終戦の日本グランプリの富士スピードウェイまでもつれ込むというドラマティックなものだった。

ワールドチャンピオンの座を競う熾烈なバトルが最終戦の日本グランプリの富士スピードウェイまでもつれ込むというドラマティックなものだった

欧米では一足早く劇場公開され、臨場感にあふれるレースシーンをはじめ、栄光と挫折を乗り越えたハントとラウダの感動的なドラマが圧倒的エンターテインメントとして描かれており、ハワード監督にとってキャリア最高峰とも称されている話題作。

スポーツ界にはライバル関係が数多く存在し、それはしばしば熱いドラマを生む。この映画は実際に70年代を席巻したニキ・ラウダとジェームズ・ハントの2人の天才レーサーを徹底的に比較することに焦点を絞り、2人の男の生き様や互いに違うからこそ認め合う姿を描いたヒューマンドラマに仕上げている。

ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの2人の天才レーサーを徹底的に比較することに焦点を絞り、2人の男の生き様や互いに違うからこそ認め合う姿を描いたヒューマンドラマに仕上げている
スポーツ界にはライバル関係が数多く存在し、それはしばしば熱いドラマを生む

ニキ・ラウダは分析型の隙のないレース運びとメカにも才能を発揮する冷静な判断力を兼ね備えた秀才レーサーで、「スーパーラット」「不死鳥」の異名を持ち、その走りはコンピューターと云われた。

幾つもの製紙工場を所有する資産家階級の長男として生まれたニキ・ラウダは、1966年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPを観戦したのがきっかけで、レースへの道を進む決意。しかし、跡取りとして歩んで欲しかった家族は、決して協力的でなかった。初レースは家族に内緒で参戦。いきなり2位に入り新聞のスポーツ欄に掲載され、父親は激怒してレース禁止を言い渡した。次のレースでは優勝してしまったことから、「レーサーを辞めなければ、ラウダ家の持ち物を一切置いて、家から出て行け」とまで言われる。それでもレースを続けたので暫く勘当されることとなったラウダ。後ろ盾のないままスポンサー獲得の交渉も行い、金銭的苦労を重ねながら確実にステップアップしていった。

幾つもの製紙工場を所有する資産家階級の長男として生まれたニキ・ラウダ
後ろ盾のないままスポンサー獲得の交渉
金銭的苦労を重ねながら確実にステップアップしていった

1974年にはフェラーリと契約。南アフリカGPで自身初のポールポジションを獲得。続くスペインGPではポール・トゥ・ウィンで初勝利を達成し、シーズン中盤にはドライバーズポイント首位に立った。ちなみに、イギリスGPではレース終了間際にピットインした際、観客の乱入によりコースに復帰できず5位となる珍事が起きた。

この年は2勝し、最多の9ポールポジションを獲得したが、終盤戦の5連続リタイアによりタイトルを逃した。しかし、このシーズンは徹底したテスト・ドライブこそがレースで高性能を引き出す鍵であることをラウダは理解し、少々問題を抱えていたマシンを進化させる為、工場に隣接するフィオラノサーキットを納得するだけ走り込んだ。

翌年の1975年にはテストを積極的に行い、新しいマシンの開発に協力した。第3戦南アフリカGPより投入されたマシンは信頼性が高いマシンに仕上がり、ラウダは5勝9ポールポジションをあげ、速さと安定した走りでポイントを重ね、ワールドチャンピオンの栄光を獲得した。そして、フェラーリのコンストラクターズタイトル獲得にも大きく貢献。

ワールドチャンピオンの栄光を獲得した。そして、フェラーリのコンストラクターズタイトル獲得にも大きく貢献

1976年の春に結婚したラウダは、第10戦終了時に5勝をあげ、ポイントリーダーであった。しかし、ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで悲劇に襲われた。レース中、「ベルクヴェルク」の1つ手前にある左に廻る高速コーナーで高い縁石に乗り上げたためにコントロールを失い、右側のキャッチフェンスを突き破り、露出した岩に激突し、発火したマシンはコース中央まで跳ね返された。これにブレット・ランガーの「サーティースTS16」が衝突し、ラウダのヘルメットは飛ばされた。

ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで悲劇に襲われた
ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで悲劇に襲われた
ニュルブルクリンクで開催された第11戦ドイツGPで悲劇に襲われた

後続で停止した5人のドライバーの捨て身の行動で消火・救出活動で一命を取り留めたラウダだが、大火傷とFRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、全身の約70%の血液を入れ替え、数日間生死の境を彷徨った。映画の中での事故や壮絶な治療シーンなど、ニキが実際にこうやって闘っていたのかと思うと心が痛い。

数日間生死の境を彷徨った

しかし、症状の峠を越したラウダは驚異的なペースで回復。事故発生から6週間後の第12戦イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞と見事に復活。顔の右半分には火傷の跡が生々しく残っている状態だったが、ラウダは周囲の好奇の目を気にする事も無かった。

ラウダは周囲の好奇の目を気にする事も無かった

ニュルブルクリンクでの不幸な事故に至る一連の出来事から超人的な復活劇の裏で2人に何が起こったのか。そして、交わされた会話や行動にライバルを超えた素晴らしい男同士の友情を目撃することになり、熱く胸を打つドラマに観客は酔いしれる。

熱く胸を打つドラマに観客は酔いしれる

もう1人の主役、ジェームス・ハントは女性を好む古典的なプレイボーイ・レーサーで、私生活の放埓な話題には事欠かなかった。また、正装が求められるFIA年間チャンピオン表彰式へジーンズにサンダル履き姿で現れるなど、やや奇人めいた自由奔放なスタイルを取りつづけた。酒豪でヘビースモーカーとしても知られ、ある時はひどい二日酔いのままテストに参加し、コース脇に停車してコクピットの中で寝てしまったというエピソードもある。ただ、繊細な神経の持ち主で、レース前には恐怖で嘔吐することもしばしばだったという。

ジェームス・ハントは女性を好む古典的なプレイボーイ・レーサー
ジェームス・ハントは女性を好む古典的なプレイボーイ・レーサー

直感型のドライビングテクを誇り、奔放な性格で誰からも愛される天才レーサーというイメージのジェームス・ハントと常に冷静なプロフェッショナルのニキ・ラウダとは対照的なキャラクターだったが、2人はF3時代からなぜか馬が合い、安アパートに同居したこともあった。ラウダのクラッシュ炎上事故の発生を露骨に喜ぶ素振りで関係者らのヒンシュクを買ったが、チャンピオン争いでは互いに実力を認め合う好敵手同士であったことは間違いない。

直感型のドライビングテクを誇り、奔放な性格で誰からも愛される天才レーサーというイメージのジェームス・ハント

ハントのF3時代は頻繁に自分のマシンをクラッシュさせたことから、姓のハントの韻を踏んだ「ハント・ザ・シャント(Shunt:壊し屋の意)」という渾名を拝命するほど乱暴な走り方をするレーサーであったが、幸運なことに友人関係にあったレース好きの貴族アレクサンダー・フェルマー・ヘスケス卿が新興チームを立ち上げ、交友関係からハントがドライバーとして起用され、大舞台へのチャンスを掴むことになる。

「ハント・ザ・シャント(Shunt:壊し屋の意)」

1976年のタイトル争いは、ラウダ復帰後の第13戦カナダGP、第14戦アメリカ東GPとジェームス・ハントが連勝し、ラウダがポイント3点リードのまま最終戦のF1世界選手権イン・ジャパンに持ち込まれ、雌雄を決することになる。

しかし、富士スピードウェイでの決勝は、コースに川ができるほどの豪雨に見舞われ最悪のコンディション。レース中止も噂される中で強行された決勝で、ラウダは「リスクが大きすぎる」として、わずか2周をスロー走行したのみで自らリタイアした。この辺りの状況も映画の中では上手に描かれている。ハントは上位を走行していたが、ウェットタイヤが消耗し、残り数周でピットイン。順位を落としてタイトルを失ったと思ったハントだったが、わずか1ポイント差でラウダを逆転して自分がチャンピオンになったことを知る。ハント以外の上位車も順位が錯綜するくらい荒れたレースだった。

富士スピードウェイでの決勝は、コースに川ができるほどの豪雨に見舞われ最悪のコンディション
富士スピードウェイでの決勝は、コースに川ができるほどの豪雨に見舞われ最悪のコンディション わずか1ポイント差でラウダを逆転して自分がチャンピオンになったことを知る

翌年、チャンピオンナンバーである「1」をつけたハントのマシンは3勝を挙げたが、復活したラウダにタイトルを奪還された。ちなみに、この年の日本グランプリでは優勝したが、レース後の表彰式をすっぽかして帰ってしまった。

1978年はハントのチームであるマクラーレンが、車体下面と地面の間を流れる空気流を利用してダウンフォースを獲得することを目的に設計する「グラウンド・エフェクト・カー」の開発に遅れたため低迷。なお、「グラウンド・エフェクト・カー」の概念は航空機の主翼による揚力発生原理を逆向きに応用したもので、断面積が狭ければ流体の速度は上がる「連続の方程式」と流体の速度が上がれば圧力は下がる「ベルヌーイの定理」を利用している。

1979年にはウルフに移籍したがマシンに失望、シーズン途中にあっさり現役引退を表明した。ちなみに、引退の理由については「チャンピオンシップがマシンの性能に大きく左右され、ドライバーの腕だけではいかんともし難くなり興味を失った」とコメントしている。

1979年にはウルフに移籍したがマシンに失望、シーズン途中にあっさり現役引退を表明

そして、現役引退後はBBCのF1中継解説者として活躍したが、1993年にウィンブルドンの自室で心臓発作が原因で45歳の若さで急逝。なお、ハントは2度結婚していたが、3人目の相手へのプロポーズが成功した数時間後にこの世を去ったという。

「RUSH」では、ハントを「マイティ・ソー」の人気俳優クリス・へムズワースが演じており、また、ドイツ人俳優のダニエル・ブリュールがニキ・ラウダに扮し、お互いを高め合うライバル関係でありながら、友情関係にもあることが見事に描かれており、さらにスリリングな映像を駆使して観客を魅了する。スピード感に溢れた激しいカット割やドライバー視点の主観アングルなど、観客はまるで自分がドライバーズシートに座っているかのような錯覚に陥る。

ハントを「マイティ・ソー」の人気俳優クリス・へムズワースが演じており、また、ドイツ人俳優のダニエル・ブリュールがニキ・ラウダに扮する
ハントを「マイティ・ソー」の人気俳優クリス・へムズワースが演じており、また、ドイツ人俳優のダニエル・ブリュールがニキ・ラウダに扮する

また、注目は「RUSH」のコスチュームデザインを「GUCCI(グッチ)」のクリエイティブ・ディレクターであるフリーダ・ジャンニーニが担当し、1970年代のF1レースの黄金時代を背景にグラマラスで魅力溢れる世界観を衣装で見事に表現していることだ。

「RUSH」のコスチュームデザインを「GUCCI(グッチ)」のクリエイティブ・ディレクターであるフリーダ・ジャンニーニが担当
「RUSH」のコスチュームデザインを「GUCCI(グッチ)」のクリエイティブ・ディレクターであるフリーダ・ジャンニーニが担当

当時を彷彿とさせるコスチュームに身を包んだクリス・ヘムズワースは、動物的なセクシー全開のジェームズ・ハントのスタイルを完璧に演じている。また、オリビア・ワイルド扮するハントの最初の妻となったモデルのスージー・ミラーのスタイルは、「GUCCI」の真髄と言えるセクシーさとイノセントな自然体の魅力を兼ね備えた70年代を特徴づけるスタイルを披露する。

ただし、作品内でジェームズ・ハントとスージー・ミラーは共にグッチ・アーカイブからのワードローブを着用しているが、時代設定を70年代としながら、劇中のすべてのコスチュームは、実際には2005年以降のフリーダ・ジャンニーニが手がけてきたコレクションから厳選されたデザインだ。

余談ながら、ミラーはハンサムでプレイボーイのハントと結婚後、ハントの友人である俳優リチャード・バートンと恋に落ちた。これを知ったハントはバートンと交渉し、バートンから100万ドルを受け取ることで離婚に同意。ほどなくして、ミラーはバートンと再婚した。

ミラーはハンサムでプレイボーイのハントと結婚
ミラーはハンサムでプレイボーイのハントと結婚 ミラーはバートンと再婚
命をかけた戦いの場を共有するからこそ生まれるニキ・ラウダとジェームス・ハントの2人の偉大なドライバーの愛憎と友情。そして、F1黄金期の華やかな舞台裏が垣間見える「RUSH」を見逃してはならない。

 
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