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2018 Apr. 5

水木しげるの回顧展

「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」など数多くのヒット作をこの世に送り出してきた水木しげる

2015年11月、93歳で天国へと旅立ったが、それ以後もなお、漫画家としてだけではなく、作品を通じて妖怪文化を広めた妖怪研究家としても高く評価されていたことは多くの人々の記憶に鮮明に残っている。

そんな水木しげるの回顧展「追悼水木しげる ゲゲゲの人生展」が、松坂屋名古屋店「松坂屋美術館」で、4月28日から6月10日までの期間、開催される。

追悼水木しげる ゲゲゲの人生展

水木しげるは1922年に生まれ、鳥取県境港市で育った。子どもの頃から超マイペースで人一倍好奇心が旺盛で、身近に起こる不思議なことに強い関心を抱き、近所に住む老婆「のんのんばあ」から妖怪の話を聞かされて、死後の世界や妖怪に興味を持ち始めた。

水木しげる

1943年、太平洋戦争に召集され、南方の激戦地で片腕を失うという壮絶な体験を経て復員。戦後は貧困に苦しみながらも、紙芝居や貸本漫画を描き続けた。

1965年「テレビくん」で第6回講談社児童まんが賞を受賞。以後、「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」など、ヒット作品を次々と生み出し、一気に日本を代表する漫画家になった。 特に代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」は、複数回アニメ化され、日本中に妖怪ブームを巻き起こした。

ゲゲゲの鬼太郎

水木自身も漫画家の枠を飛び越えて妖怪研究家としても精力的に活動し、世界各地を回ってはその地に伝わる妖怪・精霊伝説を集めて作品に生かした。

1993年には故郷の鳥取県境港市に「水木しげるロード」ができ、2003年には同ロードに「水木しげる記念館」が開館。2010年には妻の武良布枝さんによるエッセイをドラマ化したNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放送され、夫唱婦随で苦境を乗り越えるその生き様が多くの共感を呼んだ。また同年には、数々の功績が認められ文化功労者に選出され、2013年には「水木しげる漫画大全集」の刊行がスタート。

ゲゲゲの女房

2015年11月30日、多臓器不全により93歳で死去。そして、2016年1月31日には「水木しげるサン お別れの会」が開催され、関係者・ファン約8,000人が参列し、別れを惜しんだ。

水木しげるサン お別れの会

回顧展は、幼少期から晩年まで6章構成で、漫画原稿、出版物、絵画、エッセイ、映像、写真、愛用していた私物、妖怪像・精霊像コレクションなど多岐に渡る作品や資料を展示し、水木しげるの人生と代表作を網羅的に紹介する。

卓越した才能が伝わる少年時代の習作や、戦地で描いたスケッチ、多忙時代にアイデアを書きためた日記帳、「ゲゲゲの鬼太郎」や「河童の三平」の漫画原稿など、初公開となる展示品も多数並ぶ。

『週刊少年サンデー』版「河童の三平」連載5回目扉絵
『週刊少年サンデー』版「河童の三平」連載5回目扉絵

また、水木プロダクション内の一室にある水木しげるの書斎を再現して展示。大量の本やスクラップ資料に囲まれた書斎で、水木が漫画を描いていると何かが起こる…。プロジェクターによる映像演出と合わせて楽しめる。

そして、水木しげるの人生を語る際に欠かせないのが、50年以上に渡り彼を支え続けた妻の武良布枝さん。夫唱婦随の歩みは2010年にドラマ化され、話題を呼んだ。布枝さんが水木と共に過ごした日々を振り返るインタビュー映像を通じて、人間「水木しげる」のプライベートな側面に迫っている。

武良布枝さん

さらに、水木しげるが遺した名言を大紹介。「なまけ者になりなさい」「のん気にくらしなさい」「けんかはよせ腹がへるぞ」「みんな子供の時は妖怪です」…水木しげるは漫画やエッセイなどを通じて、示唆に富むたくさんの名言を遺した。それらを随所にちりばめ紹介。心にじんわりと残る言葉がきっと見つかるに違いない。

各界著名人の多くに、今はあの世にいる水木しげるへの追悼メッセージを書いてもらい一堂に展示。親交があった人や水木作品に出演していた役者、水木作品のファンなど、約50人からのメッセージがズラリと並ぶ。愛に溢れる言葉やイラストの数々から、水木しげるという唯一無二の存在の偉大さを改めて感じることができる。

第1章 少年時代 境港の天才少年画家
1922年、武良家の次男として産声を上げた水木しげる。自然豊かな鳥取県の境港で、自由奔放に育った。幼少期の水木は、近所に住んでいた「のんのんばあ」から妖怪や死後の世界についての話を語り聞かされ、目に見えないことに興味を持つようになる。そして、この経験が、後の妖怪作品を生み出す原点となる。

「思い」
「思い」

高等小学校に通う頃にはめきめきと絵画の才能を現し、公民館で個展を開催するまでになった。 第1章では、水木本人がのちに「国宝」と書いたメモを貼り付けた箱入りのヘソの緒、子どものころからの収集癖がわかる地図や新聞題字のスクラップ帳、才能溢れる少年時代の自画像や油彩画、絵本などを通じて、幼少期から少年期までの水木の姿を振り返る。

水木しげるのヘソの緒
水木しげるのヘソの緒

第2章 従軍時代 地獄と天国を見た水木二等兵
高等小学校卒業後、入学や就職を繰り返すも、なかなか道が定まらない水木しげる。1943年、ついに太平洋戦争に召集され、パプア・ニューギニアの激戦地に送られる。戦友が次々と命を落とすこの世の地獄で、水木自身も片腕を失う重傷を負う。

ズンゲンで爆風を受ける
ズンゲンで爆風を受ける

出征前の苦悩が読み取れる手記原稿、戦地に持参した英和辞典、終戦直後の南洋で現地人や自然を描いたスケッチ、水木本人の戦争体験を重ねて描いた戦記漫画などを通じて、水木が経験した戦争の悲惨さを伝えるとともに、激戦地でも自然や現地人との触れ合いを大切にした水木の生き方にも触れる。

トライ族から果物をもらう
トライ族から果物をもらう

第3章 貧乏時代 貧乏神との闘い
九死に一生を得て復員した水木しげるは、片腕を失ったものの、絵描きへの情熱の炎を絶やすことはなかった。境港から神戸、東京へ居を移し、紙芝居作家から貸本漫画家となるが、原稿料はごくわずか。食うや食わずの生活からはなかなか抜け出せない。

バナナを食べる水木夫妻
バナナを食べる水木夫妻

そんな極貧の中、見合いしてから5日で妻となった布枝は、水木の才能を信じてひたすら支え続けた。戦後に描いたどこか空虚さを感じるスケッチや、後の「ゲゲゲの鬼太郎」の原作となった貸本漫画「墓場鬼太郎」など貧乏生活の中で必死に描いた数々の貸本漫画原稿が展示される。

墓場鬼太郎「怪奇一番勝負」
墓場鬼太郎「怪奇一番勝負」

第4章 多忙時代 福の神来たる
水木しげるの漫画家人生の中で大きな転機となったのが、1965年、「テレビくん」での講談社児童まんが賞の受賞。これを機に「少年マガジン」「少年サンデー」などで連載が始まり、「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放映もスタート。貧乏生活から一転して売れっ子作家となった。

「新編ゲゲゲの鬼太郎」妖怪危機一髪前編
「新編ゲゲゲの鬼太郎」妖怪危機一髪前編

1966年には自宅の仕事場に水木プロダクションを設立。アシスタントを雇い、馬車馬のように働く日々を過ごした。

第4章では代表的な水木漫画の原画に加え、当時水木が使っていた日記帳やスクラップブックも見ることができる。さらに、水木しげるが名作を生み出した書斎を会場内に再現し、プロジェクターを使用した映像演出で彩る。

水木しげるの書斎
水木しげるの書斎

第5章 妖怪研究家 妖怪に取り憑かれて
売れっ子作家となり多忙を極めた水木しげるは、50歳を超えた頃から意識的に仕事を減らし、かねてより興味を持っていた妖怪の研究に没頭し始めた。

大量の文献を元に水木が姿を与えた妖怪たちは、私たちがイメージする「妖怪」像に大きな影響を与えている。

一反木綿
一反木綿

がしゃどくろ
がしゃどくろ

また、水木の妖怪研究は日本国内にとどまらず、1971年にパプア・ニューギニアを再訪して以来、妖怪との出会いを求めて世界中へ冒険旅行に出かけた。第5章では、息をのむほど緻密に描かれた妖怪画の魅力を紹介するほか、水木が世界中で集めた妖怪像・精霊像コレクションの一部を自宅に設けた妖怪ギャラリーを再現して展示。

自宅に設けた妖怪ギャラリー

エピローグ
水木しげるは家族との時間を何よりも優先し大切にしていた。愛用していたカメラで、家族との日常生活を写真に収めることも多く、ここでは、人間・水木しげるのプライベートな側面に迫る。

水木さんと布枝さん
水木さんと布枝さん

水木が撮影した日常の写真、50年以上にわたり水木を支え続けた「ゲゲゲの女房」こと布枝夫人へのインタビュー映像や、40人以上の各界著名人からの追悼メッセージを通じて、水木が遺したもの、我々に伝えたかったことは何なのかを探る。

水木プロダクションの全面的な協力のもと、人間・水木しげるが「この世」に遺したものを徹底的に振り返る回顧展の決定版。少年期の習作、戦地で描いたスケッチ、戦後の貧乏時代から多忙時代への変遷が伺える貸本時代からの貴重な漫画や妖怪画と原稿など、卓越した画力とメッセージ性がうかがえる作品の数々を揃え、また、エッセイ原稿や妖怪・精霊像コレクション、私物など計約390点が会場を埋め尽くす。また、会場ではここでしか買えないオリジナルグッズも販売される。

追悼水木しげる ゲゲゲの人生展

 
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